月と緑

わたしの日記

わたしのイメージする人生の風景に、近い言葉

こんにちは。

今日は、この間のように、心に抱えたモヤモヤとしたものは、ありません。

むしろ数日前から「焦り」がすっかり抜けて落ち着いて過ごせるようになりました。長い間、「焦り」を抱えて、随分と過ごしづらさを感じていたんだねと振り返って思います。ひとまず散歩に行って。ほ~っと気を抜くように歩く。駅まで向かう、いつもと同じ道。でも季節ごとに変化する風景。あそこの古い家は取り壊されたんだ。お次はこんなところに新築のお家が。人の生活の気配を身体で感じ取った時に私は癒されているんです、きっと。

(免許を持ってないので、ただただ歩きまわる日々。)

 

本屋に立ち寄って、「ケア」にまつわる書籍を眺めていたら、それだけで、心の真ん中、丹田といいますか、そこが温かくなったのです。「いつか買いたいな」と思う本の存在に生かされているところがある。(その前にグングンとスピードを上げて貯金をしなくちゃなりません。頑張り中です。)

育ててます

ヤフーニュースの色んな記事をついつい読んでしまうのですが、(読む時間はなるべく減らしたいけど、ついついですね。)この間見かけたフランスの女優さんのニュースのなかでの言葉。

「人生の重みで倒れたくない。私は自由で、軽く、荷物なしで自分の人生を生きられるようにしたい。」「人は自分が抱えた人生の重さのために苦労しているように見えます。」「美しさとは笑顔に宿り、気分が良いこと」

この頃イメージする人生の風景に近いものがあるなと、思わずメモしました。

 

荷物に例えられる「重み」って、と考える。

出来事、今向き合うこと、向き合えなかったこと、これからのこと。それを考えると途端に心が曇り始めること。決して「置いて逃げる」事ではなく、まず捉え方をもっとほぐせるように、そして自分の体に力を付けたら、丈夫になったら、重さそのものに対する曇りもいつの間にか晴れが多くなることなのかなと、思います。

好きで、よく観ているvlogのasakoさんも、「執着しないことを大切にしている」と仰っていた。私も、少しずつその方に行きたいな。

 

いつかのリビング

この頃は晩御飯のレシピが全く思いつかず、一応何とか作れていますが。フー。市販のカレールーの味に飽きてきたので、スパイスから作りたくて日記にメモしました。

市川実日子、中島歩が出ているドラマを流し見しつつ、高山さんの本読みながらの、変わらない穏やかな金曜日の日記でした。

雨の日のぼやき記

雨が続く。こまかい小雨。晴れ間が出ることもなく家の中は少し寒い。この間までは、グンと暖かかったと思いきや、この様な天気の調子で、すっかり自律神経がやられている気がします。身体の内側も外側も、うずうずと気持ちが悪い気がして、そうすると気分にも波が出てきて、まいりました。まいったなー。

ふー。

ええい、と外に出かけようとしましたが、しかし雨だし、絶賛節約中の身なのよ私は…と諦めて、はてなブログ(この場所)を思い出して、誰かにぽつりぽつりと話を聞いてもらうように文字を打っています。遠い誰かに向けて、話してみる(イメージ)で書いていくと、少しずつ波も穏やかになってきます。

 

今は在宅で、ほそぼそと仕事をしているのですが、今度ライターのお仕事のテスト案件を受けさせてもらえることになりました。嬉しいです。ひとつの夢でしたので。コツコツと朗らかに頑張っていくのみです。(どうやら、何かの形容詞をつけて心掛けを持つのが好きみたい、私。)

 

そんなに大勢では無いけど、人と関わって生まれる「気持ち」に意識が向きすぎてへとへとに疲れていたこの頃です。たまにびっくりするようなことがあります。ヒー!となる。価値観や生活スタイルに違いから感じる差異?なのだろうけど。

意識、向け過ぎてるのか、本当はそんなに気にしなくってよいことたち。その加減がまだまだ体得できなくて、生活に支障が出ることもあり悩みです。

「ここだけは、しっかり時間を取っていきたい」と思うこと。そのほかは、ゆる…でも良いのかもしれない。

ゆる…脱力…

ゆるの練習です…

ゆるい感じといえば、近藤聡乃さん(漫画家)の作品が好きです。「A子さんの恋人」は傑作だと思っています。「ニューヨークで考え中」も、たまに読み返します。淡々とね。

はるか昔、個人ブログにコメントが付いたことがありました。「spangle call lilli lineというバンド、きっと好きだと思いますよ。」と。もう10年は前でしょうか。あの時から今でもずーっと好きなバンドになりました。あの時の男性、本当にありがとうございます。遠いインターネットの海に向かって書いたぼやき日記でした。終わります。

父が悲しそうで、私もつらかった日のこと

昨日は、家族四人で祖母のお見舞いに行ってきました。父の、母。

私と同じ干支で、鹿児島の生まれで、そんなに会話を交わしたことはないけれど、いつも「〇〇ちゃん」と温かく迎え入れてくれて、いつも美味しいちらし寿司をこしらえてくれていたおばあちゃん。

もう目も見えず、耳も聞こえず、口から食事をすることができない状態なので、点滴が繋がっていた。母や、妹は、「おばあちゃん、来たよ。」と、大きめの声で話しかけていた。私は、できなくって、手を握ることで精いっぱいだった。爪の先まできれいで柔らかい手だった。涙が出るのか、目ヤニや口周りのたんの塊を、妹がティッシュで拭ってあげていた。

父は、やさしい声で「母さん、また来るから。」と、何度も話しかけていた。目頭をハンカチで抑えながら、何度か、話しかけていた。もうすぐ、別れが来ること、私はこらえきれないものがあって、涙を我慢したら、代わりにマスクの下で鼻水をおさえていた。目と鼻は繋がっている。

 

ここに、何でも書けるブログがあってよかった。自分の字で書くと、ふにゃふにゃしてて読みづらいし、タイピングするほうが楽です。

 

ずっと悪かった天気も、少しずつ晴れの日が増えてきて嬉しい。

来週は母の還暦祝いで、ディナーに行ってきます。贈り物の絵を描きました。そのラッピング用品でも見に行ってこようかな。行ってきます。

くっつくふたり

わが家には、2匹の猫がいます。

 

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(ちょうど、お昼間に撮った写真です)

 

長毛種のライと、はちわれ和猫のレン。

どちらかというと、ライが弟、レンは兄のような感じで、くっついたり、じゃれあいが加速して死の決闘のようになったりしています。

 

お題「ペットを紹介します」

 

元々は、「飼い主を探しています」という趣旨のサイトから譲り受けた2匹です。子猫の頃を知らず、ある程度大きくなった状態で、引き取りました。

 

私と、夫と、ライとレン。

なんとなく幸せな日々です。

外は雨、身の丈をいつも心に

おはようございます。

こちら、私の住む地域は今朝からしとしとと雨が降っている。風は強くないようで、ただ雨のあたる音が聞こえてくる。「家のにおい」がしたので、十数分換気をしていた。洗ってくれていた食器を片付けて、床を掃除して、洗濯機をまわして、手を動かすほどに落ち着いてくる。この、静けさが私にとっての小さな幸せです。

 

お題「最近の小さな幸せ」

 

ふう。寂しいときに、人がこいしいなあと思ったときに、えい!と連絡してしまい、結局後から少しもやっとしてしまうのです。この、えい!は小さな勢いの現れで、ぼうっと返信を待つ時間に、「ああ、馴れ馴れしかったか」とひとり反省タイム。まあ、いいか。でも、よくないかも。あんまり勢いに任せないようにしたいところだ。

この頃は、村上春樹のエッセイ「職業としての小説家」を読んでいて、普段からほそぼそと読書は楽しんでいるけれど、またちょっと幅を広げてみたいと思い、「色彩を持たない…」を取り寄せた。それと一緒に、&premiumのバックナンバーも。

巻頭には、高山なおみさんの読書案内が掲載されていて、一時期は「日々ごはん」をたくさん読んだ。ずいぶんと影響を受けたうちの一人だなと、あの頃を振り返る。こう、何ていうか、日々の時間の捕まえ方が、もしかしたら近いものがあるのかなと共感していた。(あれから、日々ごはんは手放し、人に貸していた8巻だけ手元に残っている。)

掲載インタビューのなかに、興味深い言葉を見つけた。

「人生で一番大切なことの一つは、とウルフ氏は言ったのだった。人生を派手にやるのではなく、わずかな元手でやるということだ。わずかな元手というのは、じぶんで、ということである。」

ああ、と今の自分に深く寄り添う、そして注意されたような言葉だと。いくら楽しいこと、気持ちのいい空気が好きだからといって、あっちこっちに広げ過ぎないようにと。覚えておきたいこと。覚えておきたい、今の小さくなった自分。

さてと、洗濯物を干してきます。浴室に。あ、少し晴れてきて明るくなってきました。